発見者や持ち主の名前、採掘された土地から名がつけられることもある宝石。
「ホープ・ダイヤモンド」もそのひとつ。
発見されてから現在に至るまで、さまざまな人の手に渡ってきたこのダイヤモンドは、「hope(希望)」という名を持ちながらも呪われた宝石と呼ばれ、不幸な歴史を綴ってきたのです。
今回は「ホープ・ダイヤモンド」にまつわる逸話をお届けします。
ホープ・ダイヤモンドとは?現在はどこにある?
持ち主に不幸をもたらすことでも知られている「ホープ・ダイヤモンド」。
所有者は悲惨な最期を迎えたり、そうでなくとも破滅は免れないと信じられてきました。
いったいどんなダイヤモンドなのでしょう。
ホープ・ダイヤモンドのカラーとカット
呪われていると聞くと禍々しい雰囲気を連想しますが、とても美しい宝石です。
ひとことで説明するのは難しい深みのあるブルーカラーで、「ファンシー・ダーク・グレイッシュ・ブルー」や「スチール・ブルー」、「ディープ・ブルー」と多様な表現があります。
ダイヤモンドのなかでも希少なブルーで、その大きさも目をみはるほど。
原産国はインド、17世紀時点での原石は112.25ct。
1673年に69.03ctのハート・シェイプへ、現在は45.52ctのアンティーク・ブリリアント・クッションでプラチナ製のペンダントトップに留められています。
クラリティはVS1、サイズは25.60×21.78×12.00mmです。
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世界中を旅したホープ・ダイヤモンド
「ホープ・ダイヤモンド」が歴史にはじめて登場したのは9世紀。
インドの鉱山で発見されたと伝えられています。
17世紀にフランスの冒険家であり、宝石商人であったジャン・バティスト・タベルニエによってフランスに持ち帰られるまで、何世紀も姿を潜めていました。
1668年、タベルニエはルイ14世へこのダイヤモンドを献上し、ルイ15世、ルイ16世。
そしてマリー・アントワネットにも受け継がれました。
フランス革命時に盗まれた王室財宝のひとつにこのダイヤモンドもあり、イギリスやロシア、ギリシャなどを渡り、現在はアメリカのスミソニアン博物館のひとつである国立自然史博物館にて展示されています。
「ホープダイヤモンド」にまつわる3つの逸話
世界中を旅し、人びとを魅了してきた「ホープ・ダイヤモンド」。
その歴史にまつわる逸話を3つご紹介します。
ホープ・ダイヤモンドと呪い
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「ホープ・ダイヤモンド」は持ち主に訪れる不幸によってつぎつぎと所有者を変えていったと信じられています。
時には神々しさすら感じられる宝石なので、不思議な力を持っていると信じるのは不思議ではありませんよね。
しかし、本当に呪いはあるのでしょうか?
たとえばインドからフランスへ、このダイヤモンドを持ち出したタベルニエ。
病に侵されたとか、狼に噛み殺されたなどの噂がありますが、死因は老衰で84歳まで生きたとの記録があります。
そして、「ホープ」の名前の元となった所有者・ヘンリー・フィリップ・ホープ(Harry Thomas Hope)。
彼と彼の妻が死亡後、財産を受け継いだ孫フランシス・ホープがこのダイヤモンドのせいで没落したと話していたとか。
実際にはフランシスにはギャンブル癖があったため、破産の直接の原因がダイヤモンド、と信じるのは少し難しいかもしれませんね。
もちろん「ホープ・ダイヤモンド」にまつわる不幸な話もすべて否定することはできません。
不幸な事故に遭われた人もいますが、実際には作られた伝説も存在するのです。
ホープ・ダイヤモンドがもつ多くの名
17世紀から20世紀にかけて、めまぐるしいほどに所有者が変わった「ホープ・ダイヤモンド」。
歴史に名を残す人々が手にしていることから、その時々に応じて名前を与えられてきました。
まずは「タベルニエ・ブルー(Tavernier Blue)」。
フランスの冒険家であり、宝石商人のタベルニエが由来。
タベルニエはこの持ち帰ったダイヤモンドをルイ14世に献上したため「フレンチ・ブルー(French Blue)」とも呼ばれます。
「王冠のブルー・ダイヤモンド(Blue Diamond of the Crown)」は、王冠にセッティングされたことが由来です。
マクリーン夫人とホープ・ダイヤモンド
「ホープ・ダイヤモンド」にまつわる逸話は数多くありますが、個人で「ホープ・ダイヤモンド」を所有した最後の人物といえばマクリーン夫人。
かの有名なカルティエとハリー・ウィンストンも彼女の人生に関わっています。
1910年にパリの宝石商ローゼンノーから「ホープ・ダイヤモンド」を買い取ったカルティエは、ネックレスに作り変えたのち、1911年にエバリン・ウォルッシュ・マクリーン(Evalyn Walsh McLean)に販売しました。
社交界の名士であったマクリーン夫人は、最初はこのネックレスをつけるのを躊躇していましたが、友人に貸し出したり、自分で身につけるだけではなく飼い犬の首輪につけたりするようにもなりました。
しかし、9歳の息子を自動車事故で亡くし、自身もモルヒネ中毒になり1947年に61歳で死去。
孫たちに残された遺言には、このダイヤモンドの呪いを信じてか20年間手元に置くようにとの指示がありましたが、管財人が遺産の一部を処分。
1949年にはハリー・ウィンストンが「ホープ・ダイヤモンド」を含むマクリーン夫人のすべての宝石を購入したのです。
ウィンストンは「ホープ・ダイヤモンド」の輝きを増幅させるため底面をリカットし、1958年には国立自然史博物館に寄贈。
そして現在に至るのです。
数多くの映画や小説に登場するジュエリーのモチーフともなった「ホープ・ダイヤモンド」。
映画「タイタニック」にはホープよりも高価なダイヤと評価される「碧洋のハート」も登場します。
ここまで人びとの心に深く残る宝石も珍しいですよね。
数々の出来事はただ偶然が積み重なっただけか、あるいはこじつけか。
真相は定かではありませんが、いろいろ憶測を楽しむのも宝石の楽しみのひとつですね。
POINT
- ホープ・ダイヤモンドは45.52ctのアンティーク・ブリリアント・クッション、クラリティはVS1
- 呪いの伝説は創作も多く、持ち主すべてに不幸をもたらしたわけではない
- カルティエがネックレスへ再加工、ハリー・ウィンストンがリカットを施した
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大学卒業後、ジュエリー専門学校にてメイキングとデザインを学ぶ。ジュエリーセレクトショップ・百貨店にて販売員経験あり。あなたとジュエリー・アクセサリーとの距離を縮める記事をお届けします。