あなたはその絵に、何を見るだろうか。それは自由に踊る水飛沫のようであり、葉の隙間から差し込む光のようでもあり、子どもの頃に顕微鏡で観察した微生物のようでもある。初めて見るのになぜかよく知っているような……そんな不思議な感覚を想起させる絵画展をご紹介する。
かすがい市民文化財団主催 山田雅哉『エチカ』
5月21日(日)まで、愛知県春日井市にて とある現代美術家の絵画展が開催されている。日本画材を用いた新しい絵画表現を試みる画家、山田雅哉の個展だ。
彼にとっては現時点での集大成となる個展で、具象絵画を中心とした初期作品から、その移行期にあたる実験的な抽象絵画、そして独自の表現を確立した最新作まで、およそ85点を展示。うち27点は本展のために描き下ろした新作シリーズで、日本画材の特性を生かして作家みずから開発した新技法「新案墨流し技法」「新案垂らし込み技法」を用いた即興的な表現と美しい色彩が、訪れる人の心に不思議な安らぎをもたらしている。
お近くの方もそうでない方も、ぜひお越しいただきたい注目の美術展だ。
画家の妻である私のこと
……と、他人事なお知らせ文章を書いてみたが、じつは山田雅哉は私の夫である。先日インスタグラムにて、こんな文章を掲載した。
一部抜粋してご紹介したい。
個展タイトルを「エチカ」…すなわちどう生きるかを問う〈倫理学〉を意味する言葉に決めた山田は、この個展に向けた大作のため、来る日も来る日も画面に向かい、自分に問い続けてきました。どう生きていくのか?そして私は現時点でのその答えを絵を通じて確認し、あらためて、彼のことを誇りに思いました。
時系列順に展示されている85点のうち、ちょうど中間にあたる絵画が、見覚えのある、出会った頃に描いていたシリーズだった。あれからこれだけの時間が経ったのだなと感慨深いような気持ちになるが、しかしそれ以上に芸術を愛する者として客観的に、一歩一歩地道に、しかし着実に表現を推し進めてきた画家の存在に、感銘を受けるのだった。
私は画家の妻であって、画家ではない。画材のことや技法のことに詳しくもなければ、その思考も本当のところは理解できていないのかもしれない。ただやはり絵は好きで、夫の絵は一番好きだ。私は彼に出会っていなくても、もしかすると彼の絵には出会い、そしてファンになっていたかもしれない。
二十四節気を描いた新作「Angel」
しかしせっかくなので、妻ならではの視点で裏話をしたい。
山田雅哉が本展のために描き下ろした新作シリーズ「Angel」は、二十四節気をテーマとした24枚と、雪月花をテーマとした大作3枚の、計27枚からなる連作である。二十四節気に関しては実際にその季節に触れつつ描くということを制作のルールとし、2022年の立春から2023年の大寒まで、2週間に1枚ずつ休むことなく描き続けた。
じつは夫は、このシリーズを制作する少し前から、日の出とともに起床しランニングをするという生活をしている。毎日 日の出とともに起きるので、もちろん季節ごとにその時刻も変わっていく。日々移ろいゆく太陽の動きや、気温、景色、音、そういうものにヒントを得て、この27連作を描き進めたのだそうだ。
山田雅哉の作風の特徴に、植物や水など自然物のかたちを借りて制作をするという点が挙げられるが、そういった点でも、この生活スタイルは絵画に大きな影響を与えることとなる。
夏になれば葉は大きくなり、また冬になれば葉は落ち枝だけになる。そして季節によって、水の乾くスピードも変わってくる。季節の移ろいを実感しつつ制作をつづけ、彼は以前から感じていたことを事実として捉えた。美しさは万物に宿り、そして移ろいゆくものだということだ。その気づきを経て制作したのが、大作「雪月花」。雪は溶けるから美しく、月は欠けるから美しく、花は散るから美しい。二十四節気のまとめとして、敬意すべき自然とそこに生きる自身を見つめつつ、山田はこの3連作を描き上げた。
「Angel」というのは、つまり天使ということだ。しかし山田雅哉の絵画には、いわゆる天使のような姿かたちは描かれていない。しかし見る者は、その画面上に捉えられた見たことのないかたちを、やはり天使なのかもしれないと思わされる。
山田雅哉は自身の絵画を、抽象表現でありながら「超具象」だと語る。見えないところに確かに存在するものを、画面上に初めて立ち現せる……それこそが自分の絵画表現だというのだ。
その空間に立ち、絵画と対峙したとき、私たちは気づかされるような気持ちになる。葉脈の隙間に、水滴の底に、木漏れ日の反射に、風の肌触りに、事実Angelは存在しているのかもしれないと。きっとすべてに、ほんとうのものは宿っているのだと。
山田雅哉『エチカ』は21日まで
山田雅哉の絵画を観ていると、生きることの軸のようなものを、やわらかく思考できるような気がする。広い展示室内を出たときに、明日を想う自分がいた。
こんな文章を描きつつ、画家本人が、ましてやその妻がどのような人間であるかだなんて、正直絵には何の関係もないと私は思っている。作品にすべてはあると信じつつ、この文章を閉じたい。
※記事中の写真は特別な許可を得て撮影しています
山田雅哉(やまだ・まさや)
1981年愛知県春日井市生まれ、在住。2015 年愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了(美術博士)。愛知県立芸術大学の日本画領域で初となる博士学位を取得。博士論文「音楽の視覚化にみる日本画表現の可能性」では、二つの新技法「新案墨流し技法」「新案垂らし込み技法」を発表し、現在も新たな表現の可能性を求めて研究を進めている。主な展覧会等に、山本直彰 山田雅哉展(2019)、個展「存在の謎」(2019)、個展「talk」(2022)、東海テレビ「ニュースOne」番組セット・メインビジュアル担当(2020–2022)などがある。
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芸術大学卒のフリーランスライター。AJINOMOTO PARK 主催の投稿コンテスト、新しい働き方LAB主催の書きものコンテストなどで、エッセイ入賞。ピアノ講師でもあり、画家の妻としての一面も持つ。ここでは、暮らしのなかで見つけた 美しさ にまつわるエッセイをお届けします。