フォトエッセイ

私と写真と、ピアニストの手【- Shining Moments:42 -】

私と写真のこと

最近日増しに写真が楽しい。ライター業の一環として、記事に使う写真を自分でも撮ることができるよう勉強し始めた写真だけど、もっとちゃんとやってみたいなとスタジオに所属させてもらうようになって一年半。人物写真の仕事は自分の性格にも合っているのだと思う。その人の美しさをどうやったら引き出すことができるか、ファインダー越しに対話するような時間が楽しいし、ふとした良い表情に出会えるとドキドキする。

Can I take your picture? カメラと私と、そして旅。【─Shining Moments:21 ─】

また、私はデジタルで撮影することが多いので、撮影したあとRAWデータを編集ソフトで現像するのだけど、そこでもようやく自分らしさのようなものを掴み始めた気がする。編集に関しては特に誰に教えてもらったわけでもないが、好きな写真の見よう見まねで、とにかくカメラを触って、パソコンの前で悩んで、ああでもないこうでもないとやってきたのだ。全然上手にならなくて落ち込んだ時期もあるけど、いま写真が楽しいのは、やっぱりそれだけやってきたからだと思う。もちろんまだまだ道半ばだけれど、少しは自分を褒めてあげたい。

だから今回は「少しは自分を褒めてあげたい」と思うきっかけとなった、この夏のある撮影エピソードの話を通じて、実際に自分を褒めてあげたいと思う。

昨年出会ったピアニスト。2023年夏の写真

人物写真を始めたての夏、つまりちょうど一年前に撮らせてもらった女性を、先日久しぶりに撮影した。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

金原あかりちゃんという四つ歳下のこの女性は、愛知県立芸術大学の後輩で、バルセロナに留学中のピアニストだ。大学は被っていないので学生時代は存じ上げなかったのだが、卒業後に師事していた先生が同じで、その紹介で知り合った。「多分気が合うと思うよ」という先生の言葉通り、私たちは初対面で意気投合。また、あかりちゃんは内面だけでなく見た目も魅力的で、毛先だけ鮮やかに染められた長髪と、パツンと切り揃えられた前髪、そしてそこから覗く大きくて涼しげな目が美しく、私は初めて会ったその日に被写体になって欲しいとお願いしたのだった。

その時に撮らせてもらった写真を、せっかくなので数枚ご紹介したい。ちょうど一年前の夏、海で撮った写真だ。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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二度目の撮影、力みを捨てて

そして今年、あかりちゃんは、一時帰国をしてリサイタルを開催することになった。とても光栄なことにゲスト出演のお声がけをいただき、私も数曲共演することに。二人で話し合って、フライヤーには昨年撮影した写真を使用した。

一緒に音楽ができることはもちろんだけど、私は一年ぶりにあかりちゃんのことを撮影できるのがとても楽しみだった。そうして本番前に撮らせてもらったのが、冒頭の一枚。リハーサル中に撮影した分も含め素敵なあかりちゃんを沢山撮ることができたので、ここにも数枚掲載させていただく。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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どちらも気に入っているけど、今年の方がよりフラットな視点で、彼女の美しさにフォーカスできている気がする。多分、上手く撮りたいという“力み”が良い意味でなくなってきたおかげなんじゃないだろうか。ちょうど一年前に撮影したあかりちゃんを再び撮らせてもらうことで、自分自身の良い変化を実感することができた。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

邪念を捨てた先の音楽

あかりちゃんにリサイタルの抱負を尋ねると、彼女はこんなことを言っていた。

「邪念を捨てて弾きたい」

これはクラシック奏者間でよく話されることだと思うが、楽譜に忠実に音をつくることは、まず第一に大切なことだ。「こう弾いてやろう」と邪な想いばかりが先行する音楽は聴いていて疲れる。自分をなるべく排除して、排除して、それでも滲み出てしまうようなところに、人が演奏する美しさがあるのではないだろうか。

しかしそれは、分かっていても難しい。でもだからこそ、演奏家は本当に膨大な時間をかけて基礎的な練習を行うし、楽譜を読み込むのだ。

私はその話を聞いて、どのような表現にも同じことが言えるな、と思った。写真についてもそう。私が今年撮った写真を昨年と比べて良いなと感じたのはきっと、自分のことを少しは褒めてあげてもいいくらいに努力してきたから。あれこれ考えすぎず、美しいと思うものをまっすぐに迎えに行ける判断力は、この一年のあいだ、気が付かないうちに随分ついたのかもしれない。

ちなみにリサイタルは無事終演し、あかりちゃんはもうじきまたバルセロナに戻る。また次に撮らせてもらう日が楽しみだ。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

私が撮ってきた様々な「手」

最後に、私が撮った別の写真を数枚「手」にフォーカスして載せてみたい。

家族写真でも宣材写真でも、私は何故だか手を撮ることが好きだ。自分自身ずっとピアノを弾いてきたからだろうか、手って身体のパーツの中でも特に美しいと感じる。その人がどういう人か、手を見ていると想像できるようなところがある気がするのだが、どうだろう。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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最近日増しに写真が楽しい。ふと作業を止めて、自分の手を眺めてみる。鍵盤よりもパソコンやカメラに触れていることの方が多くなった自分の手も、けっこう好きだったりするのだよな。