NHK朝の連続テレビ小説(通称・朝ドラ)、2023年前期は「らんまん」(月~土曜朝8時~)。
「日本の植物学の父」と言われる植物学者・牧野富太郎博士をモデルとして、春らんまん・明治の世を舞台に、天真らんまんな槙野万太郎(神木隆之介さん)とその妻となる寿恵子(浜辺美波さん)の波乱万丈の生涯を描く物語です。
テーマが植物学なので、さまざまな植物を本物そっくりのレプリカで製作するなど、緻密な制作姿勢が作品を奥行のあるものにしている本作。
そして、幕末から明治へ…万太郎と出会う人々の人生も交錯しながら、当時の歴史、時代の空気感や人々の思いと生活もとても丁寧に描かれている印象です。
江戸時代と地続きの土佐編から、文明開化の東京編へ。「鹿鳴館時代」のエピソード、万太郎と寿恵子がどうなるのか、展開が楽しみですね!
今回は朝ドラ「らんまん」の衣装、明治時代の「洋装化」について探ってみましょう。
寿恵子(浜辺美波さん)のドレス「バッスル・スタイル」とは?
鹿鳴館時代と「バッスル・スタイル」
楊洲周延『貴顕舞踏の略図』/鹿鳴館での舞踏会の様子
本作のヒロイン・寿恵子(浜辺美波さん)は西洋式の“ダンス”…舞踏練習会に通うことになります。その目的は、鹿鳴館(ろくめいかん)での舞踏会。
欧米諸国との不平等条約を改正したいという狙いから、当時の日本の欧化政策(おうかせいさく)の一環として建設された西洋館です。
鹿鳴館時代といえば明治16年(1883年)~明治20年(1887年)頃。
「バッスル・スタイル」とは、19世紀末(1870~90年頃)欧米女性に流行していたスタイルです。
バッスル(Bustle)とはカゴの意味で、ヒップラインを美しく見せるための腰当てのこと。鯨のひげや針金などを使って作られていました。
このバッスルをファンデーション(下着)として、オーバースカートを使いスカートの後ろの腰部分を強調して装飾するデザインが流行でした。
なかなかかさばるモノを身に着けていたのですね…!
これでも、19世紀半ばに流行したクリノリン・スタイル(スカートが全方位のドーム状に広がるタイプ。スカートが巨大化・かさばる!)よりはスリム化。特に前がストンとしているので、当時の認識ではだいぶ機能的になったと思われていたのでは。
クララ先生(アナンダ・ジェイコブズ)は動きやすい、踊りやすい!といって優雅なダンスで魅了。寿恵子の心と帯を解かせましたね(採寸のためです)。
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日本の女性の洋装化の始まりといえる鹿鳴館スタイルは、ちょうどこのバッスル・スタイル時代の洋服が取り入れられたと言えます。
朝ドラ「らんまん」でのバッスル・スタイルのドレス再現、期待大です!
寿恵子のイメージカラーは白梅堂の「梅の花」のピンク系…というのが撮影前の企画案に載っていました。このドレスはよりシックなプラムレッド(梅の赤)カラーに白いレースの組合せ。紅梅と白梅のコントラストのようで美しいですね!
※鹿鳴館時代のドレスについて関心がある方には、こちらの記事のシリーズもおすすめ。小袖の豪奢な生地を活用したバッスル・ドレスの和洋折衷の美しさに感嘆…!
<よみがえる明治のドレス・最終回>響き合う東西の美 異彩放つ小袖夜会服(東京新聞Web)
明治時代、男性と女性の洋装化の違いとは?
万太郎の洋装…「正装」の意味とは?
ところで、東京に来て真っ先に立派な洋装をこしらえた、主人公の万太郎(神木隆之介さん)。
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メインビジュアルやオープニング映像でもこのびしっと決めた洋装が万太郎のイメージですよね。
実はモデルの牧野富太郎博士は、植物採集に行くときはいつも蝶ネクタイ姿の正装!
「恋人である植物に会いに行くのだから…」植物に敬意を払うという姿勢を、服装で表していたのだそうです。
「装い」の意味について改めて感銘を受ける発想です。
ちなみに、ドラマでも登場していますが、万太郎が草花を入れているブリキ缶製バッグの名前は「胴乱(どうらん)」。
胴乱とは、元々日本古来の小型かばんの呼び名で、植物採集の道具としても使われます。牧野富太郎博士はオリジナルの“牧野式胴乱”を特注していたそうですよ。
「ハイカラ」とは?明治時代の洋装化、男性と女性との違い
そして、万太郎の相棒・竹雄(志尊淳さん)も、西洋料理店に勤めたことで憧れの洋装に!(足が長いことも判明!)
明治時代の給仕の制服は、現代のホテルやレストランのユニフォームに受け継がれていますね。
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このように、日本の男性は、文明開化の最先端としてはもちろん、軍服や制服(学校や仕事)で洋服を着る機会が増え、公の場での洋装化が進展していきました。
明治になってすぐ「散髪脱刀令」が出たように、“散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする”…国をあげて男子の洋装化を推進していたのです。
国家や社会を担う男性に対して洋装化の圧が強かったからとも言えそうですね。
工部省で働く土佐時代の友人・佑一郎くん(中村蒼さん)ももちろん洋装。
この高い襟が明治時代の男子洋装の流行!
西洋風の身なりや人、事柄を「ハイカラ」と言うようになりますが、ハイカラとはこの高い襟=ハイカラ―:high collarのことなのです。
(佑一郎のモデルと言われる廣井勇さんも「港湾工学の父」と呼ばれた凄い方なので、土木好きの方は調べてみてくださいね!)
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さていっぽう、明治時代の女子の洋装化は?
鹿鳴館スタイルを経験したのは、皇族や華族といった上流階級、鹿鳴館に呼ばれた花柳界の芸者たちなど、ごくごく一部の女性。
まず仕立てるのがとんでもなく高価だったでしょうし、コルセットにバッスル…女性の洋装はまだまだ窮屈そうなつくりの時代です。
しかも、急激に行き過ぎた欧化政策の反動もあって、明治中期以降、特に女性は伝統回帰で和装に戻る傾向が生まれました。
日露戦争後には「元禄ブーム」が起きたりと、明治時代は和装中心の時代が続きます。
日本の女性の洋装化は、女学生の”袴にブーツ”という時代を経て、欧米ファッションも変化していく1920年代…女学生のセーラー服、“モガ”ことモダン・ガール、職業婦人といった次世代のライフスタイルの登場を待つことになるのです。
POINT
- 朝ドラ「らんまん」は主人公カップルと周囲の人々の人生、時代の空気も丁寧に描くドラマ
- 鹿鳴館時代の「バッスル・スタイル」が日本女性の洋装化のはじまり
- 万太郎の「正装」は植物への敬意。明治時代、男性は洋装化・女性はまだまだ和装中心
女性の洋装化やモボ・モガ時代については、朝ドラ「おちょやん」(大正時代)・「エール」(昭和初期)衣装の記事も参考にしてみてくださいね。
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マーケティングディレクター、ジュエリーに詳しいライター、女性メディアライター、ジュエリーデザイナーなどによる専門チーム。