フォトエッセイ

ゆらゆらしたい夜もある。ピカソも愛したロッキングチェアで。【─Shining Moments:16 ─】

ロッキングチェアというものは、何故これほどまでに甘美なんだろう。
前へ後ろへ私をゆらゆらさせてくれる、揺れる椅子。
たっぷりとからだを包み込んでくれる、大きな椅子。
自分を完全に預けてゆらゆらしていると、気分は次第にふわふわとしてくる。
私はしばし思考を捨てて、その非日常で心地よい動きに集中する……。

私は「ゆらゆら」という言葉が好きだ。たゆたう波や、暑い日の遠い景色、ろうそくの光、煙草の煙……。それら心地よい揺れのリズムは、優しく、ゆるやかに、私を解きほぐしてくれるように思える。ゆりかごや木馬で小さい頃には馴染みのあった「ゆらゆら」だが、実は大人にこそ必要な時間なのではないだろうか。甘え下手な大人なら尚更、それを与えてくれる存在にうっとりしてしまうはずだ。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

このあいだのゴールデンウィーク。マイク・ミルズ監督の『人生はビギナーズ』という映画を家で観て、私はロッキングチェアへの憧れを思い出した。
それは、主人公の父親の家のベントウッドロッキングチェア。劇中で特にフォーカスされるわけでもないのに、そのラタンと曲げ木のロッキングチェアが画面に映るたび、目が離せなくなる。

劇中のものは、おそらくトーネット社のものではないかと思う。1860年に発表されたロッキングチェアで、一番の特徴は「曲げ木(ベントウッド)技術」による曲線の美しさだ。無垢の木材に高温の蒸気を加え、柔らかくして鉄製の型にはめ込むことでアーチ状にして、乾燥・固定させる。この技術を世界で初めて発案したのが、ドイツの家具職人ミヒャエル・トーネットである。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

私は以前から、この曲げ木の椅子のファンであった。
ロッキングチェアが欲しいと思いつづけて色々と調べてきたが、その中でも特別心惹かれていたのが、このベントウッドロッキングチェアだったのだ。こんな曲線美の椅子は、他にはない。

心惹かれていた理由はもうひとつある。
それは、この画集をぱらぱらと捲っていたときのこと。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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パブロ・ピカソのアトリエの写真、真ん中に置かれている椅子が、トーネット社のロッキングチェアだ。初めて見たとき、なんて美しい椅子だろうと私は感動した。画家のアトリエにあるべき椅子に思えた。

ピカソはベントウッドロッキングチェアの愛用者といてよく知られていて、1940年頃からフランスのアトリエで使っていたらしい。
ロッキングチェアに座っているポートレートが沢山あるだけでなく、女性をそこに座らせて描いた絵画もいくつか残っている。

ナチス占領下のパリで作品発表の機会が限られたピカソは、主にアトリエにこもって制作していたそうだ。
アトリエでの美しい「ゆらゆら」は、きっと彼の心の癒しにもなっていたのだろう。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

そういうわけで「ゆらゆら」への憧れを思い出した私は、ベントウッドロッキングチェアを部屋に迎えることに。

選んだのはトーネット社のものでなく、その曲げ木技術を日本で唯一継承する老舗家具メーカー〈秋田木工〉のロッキングチェアだ。
100年以上の歴史をもつ〈秋田木工〉は日本で唯一の曲木専門工房として、匠の技による繊細な曲線美を生み出している。
同工房のスタッキングチェアを愛用していて馴染み深かったこともあり、私は自分の初めてのロッキングチェアを〈秋田木工〉に決めた。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

部屋に静かに馴染むそのロッキングチェアを、私はすぐに好きになった。

自然な曲線は艶やかで色っぽく、指でつうっとなぞってみたくなるよう。滑らかな手触りが、クセになる。深い木の色が光に反射する様子も美しい。ラタンの網目はからだを預けると微かに沈み、心地よくフィットしてくれる。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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何よりその軽やかな揺れが、魅惑的だ。

ロッキングチェアというものは何故これほどまでに甘美なんだろうと、私は思う。

前へ後ろへ、自分を完全に預けてゆらゆらしていると、気分は次第にふわふわとしてくる。
私はしばし思考を捨てて、その非日常で心地よい動きに集中する……。

エッセイはロッキングチェアで書いてもいい決まりにしていて、この文章も揺られながら書いている。

このあと私はここで本を読んで、音楽を聴き、珈琲を飲むだろう。
それから、少し眠ってもいいかもしれない。

大人には、大人だから、ゆらゆらしたい夜もあるのだ。

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