大人なので、自分で自分の機嫌をとろうと、つねづね思っている。そしてその方法は、簡単であれば簡単であるほどいい。ちょっとお花を飾るとか、良いチョコを一日一個食べるとか。
「おうち時間」が推奨されているいま、自分の機嫌をとるためのささやかな工夫は、多くの人が関心を寄せるテーマだ。日常が平坦になりすぎないように、心地よい刺激の中で生きられるように。旅行や派手な遊びができないぶん、日常的な物事のアップデートが、より求められているんじゃないだろうか。
今回はそんな、ささやかなアップデートの話。
今年に入ったある日、お風呂上がりに水を飲んでいて、ふと思った。
毎日気にせずこのグラスを使っているけれど、これを愛せているだろうか?私はこれに、心動いているのだろうか?
そのグラスだって、こだわっていないわけではなかった。
イッタラのカルティオ400mL。食卓を邪魔しないシンプルで無駄のないデザインが好きで、来客用にも揃えている。
だけど”自分のためのグラス”と考えた途端、なんだか急に、違う気がしてしまったのだ。
そうして私はそこに、ささやかなアップデートを見出した。今年中に、日常使いするウォーターグラスを とっておきのお気に入りにしよう、と。
しかし、出会いはすぐにやってきた。
普段気に留めないようなアールデコ調のビンテージショップで、キラキラとしたグラスを見かけたのだ。
手に取ってみると、ブランドはバカラ(baccara)とのこと。あの有名な。知ってる。マダムのための店だと思って立ち寄ったことがなかったけど、もちろん知ってる。そして そのプライスタグには、”baccara 〜1936″ と、数字が書き添えられていた。聞いてみると、1936年以前に製造されたバカラを「オールドバカラ」と呼び、根強いファンがいるという。その時代の製造にはバカラの刻印こそないものの、最高峰の職人の技術により作られており、クリスタルアートとも呼ばれているらしい。
…正直なことを言うと、バカラのことも詳しくなければ、クリスタルの知識だって全くない。オールドバカラが良いと言われても、現行品との違いもよくわからない。
だけど、手の中で ひんやりと ずしりとくるそのグラスに不思議な魔力があったことは事実で、私はそれを境に、オールドバカラに取り憑かれてしまった。
それから、自分なりに色々と調べた。用途に合わせたさまざまなサイズがあること、シリーズごとにカットのデザインが異なること、今は廃盤となっているもの、など。
そうして選んだのが、コルベール(colbert)というラインのウォーターゴブレットである。
コルベールは、1907年頃から2004年まで作られてきた、バカラ定番のカットガラスモデル。大胆で深く華やかだが繊細なカットは、なんともバカラらしく、光をたくさん取り込んで美しい。私のは、刻印のない、1936年以前のオールドバカラだ。
我が家に迎えるなり、私はこのグラスが大好きになった。
今まで使っていたカルティオより、全然持ちづらい。バランスが取りづらいし、重い。割れないか気をつかう。容量も、それほどあるわけじゃない。
だけど、どうしたってスペシャルなのだ。
自分を高揚させる絶対的な魅力が、このバカラにはあった。
この一連の騒動のきっかけとなったお風呂上がりの水はもちろん、ご飯の時の水にも使う。これでジュースだって飲むし、たまにはワインを注ぐ。
陽の光にキラキラとして、とてもきれい。変な表現かもしれないけれど、飲み物が喜んでいるような気がした。
「一人ルネッサンスだね」と、夫は言う。確かに、これで「ルネッサーンス!」とグラスを掲げれば、ほとんど髭男爵だ。(余談だが山田ルイ53世という名前に私山田ルーナは親近感をおぼえる)和食のときなんかは特に、そのチグハグな感じに笑ってしまう。
だけどそんな時、私は「買ってよかった」と、心から思うのである。
仕事がうまくいかなくても、なにか腹立たしいことがあっても、私はバカラのグラスで水を飲んでる。私はオールドバカラで水を飲む女なのだ。それってなんだかすごく面白くて、すごく素敵なことなんじゃないだろうか。
そんな、ささやかなアップデート…いや、ささやかな革命によって、最近の私はご機嫌だ。
世の中色々あるけれど、こういうことを繰り返しながら、楽しんで生きていきたい。
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芸術大学卒のフリーランスライター。AJINOMOTO PARK 主催の投稿コンテスト、新しい働き方LAB主催の書きものコンテストなどで、エッセイ入賞。ピアノ講師でもあり、画家の妻としての一面も持つ。ここでは、暮らしのなかで見つけた 美しさ にまつわるエッセイをお届けします。